back / top

あしたはそのまま青い空(3)

 翌日もよい秋晴れだった。
 昼休み。
 ソラは自分の席で、祖母が持たせてくれたシソの葉を混ぜ込んだおにぎりをぱくついていた。
 ソラの席は窓際だった。
 これは気に入っている。
 でも、一番前なのは、全然気に入ってない。
 おにぎりを持つ日は、いつもみっつもってくる。
 ひとつは、三時間目が終ったときに食べてしまうからだ。
 じゃないと、四時間目はおなかがすいてしかたないのだ。
 今日の飲み物は、ぬるいオレンジジュース。
 自宅の冷蔵庫にあったものを、朝慌てて鞄に突っ込んできたので、ぬるくなっていた。
 購買にいけば冷たいジュースも買えるのだけど。
 正直、並ぶのがめんどくさい。

   ソラが最後のおにぎりにかぶりついた頃、明日真は1年C組の教室の戸のところにいた。
 昼休みの廊下は賑やかだった。
 一年生たちは、戸のところに立っている二年生を遠巻きにしてみてる。
 明日真は誰かに声をかけて、ハンカチを貸してくれた一年生を呼び出そうとして、あることに気がついて困っていたのだ。
 名前を聞いていなかった。
 なぜか明日真を遠巻きにしてる一年生たちは声をかけてくれない。
 「明日真先輩だわ」「どうしたのかしら……」とひそひそ話ししてるのはわかるのだが。
 ……だったら誰か声をかけてくれないだろうか。
 と、明日真は思っていた。
 明日真は、教室の戸にはめ込まれているガラス越しに教室の中を覗いた。
 いた。
 あのちびっこい一年生が。
 おにぎりを食べている。
 明日真は気がつかないかと思って、手をふってみた。
 しかし、彼女は一心不乱におにぎりを食べている。
 ……参ったな……。
 明日真が見ていることも気がつかず、彼女はむしゃむしゃとおにぎりを食べていた。
 あっという間に食べ終った。
 そして、紙パックのジュースをずずっと飲んだ。
 飲み終わったのか、満足そうに笑った。
 幸せそうな食べ方だなーなんて明日真は思った。
 おなかがいっぱいになったせいだろうか、彼女は伸びをした。
 その瞬間、ふっと廊下側をみた。
 チャンス!
 明日真はそれを逃さず、ドアを少しだけ開けて、手をふった。
「あ!」
 その彼女は、慌てた様子で立ち上がった。


     ソラは、明日真が手招きしているので、慌てて廊下にでていった。
 これありがとうと、明日真は昨日のハンカチを差し出した。
「部室にとりにいってもよかったのに」
 ハンカチを受けとって、ポケットにいれながら、ソラがそう言うと、明日真は笑った。
「んー、実は私、ほとんど幽霊部員なんだ」
「そうだったんですか」
「で、そっちは新しいサークルどうすることにしたの?」
 明日真の問いに、ソラは少し俯いた。
 昨日、あれから帰宅して、いろいろ自分なりに考えてみた。
 どのみち、自分以外に部員が二名いなければ、申請すらできないのは確かなのだ。
 あと、顧問の先生も探さなくてはいけない。
 1年C組の担任は、すでにテニス部の顧問のはずだった。お願いはできないだろう。
 と、なると特に親しい教師もいないソラには顧問のあてもなかった。
「……私のほかに二人集めるのは難しいかもって」
「あきらめるの?」
 ソラは明日真を見上げた。明日真は笑ってはいなかった。じっとソラを見つめている。
「まあ……」
 明日真は言った。
「部とかって意外と大変だし、つくる時点であきらめられる程度なら作らないほうがいいかもね」

 そうか。
 作ったあとのこともあるのか。
 当たり前のことにソラは気がついた。
 あきらめる?
 まだ紙一枚、もらっただけなのに。

  「あきらめません!」
「ほお」
「ただ、今はちょっとどうしていいかわからないだけで……」
「まーねえ」
 明日真はうーんと腕を組んだ。
「内容が内容だけに、難しいかもしれないけど……女子高生にしちゃマイナーな趣味っていうか……」
「昔はちゃんとあったみたいなんだけど……」
 ソラがぽつりと言った。
 その言葉を明日真は聞き逃さなかったようだった。
「え? それってどういうこと?」
「えっと、昔はこの明窓にも、落研があったって……」
「へえ……そうなんだ」


 放課後、ソラは廊下を走っていた。
 もちろん、廊下は走るもんじゃない。
 指定鞄を持って、ソラは図書室に向かっていた。


     図書室の前で立ち止まり、息を整えた。
 図書室にくるなんて、入学直後の学校案内の時以来じゃないだろうか。
 ソラはあんまり本は読まないのだ。
 映画はよくみるけど。
 そっと戸をあけると、図書室の中は静かだった。
 ソラは、入り口そばの壁に表示してある館内の案内図を見る。
 目当てのものは、図書室の奥のほうらしい。


     鞄を床に置いて、ソラはその書棚の前に立った。
 卒業アルバムが並ぶ棚だった。
 なので、まわりは誰もいない。
「えーっと……」
 ソラは指をおって数を数える。
「何年前になるんだっけ……」
 ソラは卒業アルバムの背表紙を目で追う。
 どんどん過去にさかのぼる。
 めぼしをつけた年のアルバムを引き抜いた。
 アルバムは大判で重い。
 ソラは、ぺたりと床にあぐらをかいて座り込んだ。
 かなりお行儀が悪いけど、誰もみてないから、いいことにした。
 ぺらぺらとページをめくる。
 写真はすべてモノクロだった。
 ただ、この頃も今も制服は変らない。
 写真に移っている少女たちの髪型は多少古臭いが。

   もし、昔に存在していたのなら。

   昼休みの廊下で、明日真がソラに耳打ちしたこと言葉だった。
 そのことを教えてくれた明日真は、にやりと笑った。
 なんだか不思議な人だ。
 ソラはそう思った。

  「あった……」
 ソラの手が止った。
 めくられたページは文化系部活の写真のページだった。
 あの文化棟も変らぬ様子で写っていた。
 演劇部は全員舞台衣装姿で写っている。茶道部は茶室で正座している写真だった。
 ソラはもう1ページめくった。
「……あ」
 そのページの隅にその写真はあった。
 ソラは呟いた。
「……お母さん……」
 今のソラと同じ制服の少女たちがにこやかに文化棟の正面玄関をバックに写っていた。


    「お、おじゃまします!」
 ソラはドアをばんとあけた。
 文化棟の文化棟本部室だった。
「あら、昨日の落研になる予定の人ね〜〜」
 最初に声をかけてくれたのは、昨日とおなじくふわふわ髪の美佐だった。
 相変わらず、のんびりしたものいいだった。
「提出する書類があるなら出してください」
 椿がちらりとソラをみて言った。こちらも昨日と変らず冷静な態度だった。
「いえ、新設サークルじゃなかったんです!」
 ソラは持っていた鞄を、そのまま床において、小脇に抱えていたアルバムの目当てのページをひらいた。
「ほら!」
 椿がちらりと美佐の隣のデスクに座っていたいおりを見た。
 いおりは「心得たり」といった様子で頷いて、椅子からたちあがり、ソラのほうにやってきた。
 そして、その開いたページを眺める。
「ここ、ほらここ」
 ソラが「落語研究会」とキャプションがついている写真を指差す。
「ほんとうだ……。昔はあったみたいです」
「え?」
 椿も立ち上がった。
「な、なので、休部状態の落語研究会の復活を要請します」
 ソラはそういった。
「あらら、こういうの初めてのパターンだわ〜〜」
 驚いているのだろうけど、やっぱりのんびりした口調で美佐がそういった。

    「落語研究会。十七年前に部員不足のために休部状態に。看板は本部預かりになってる」

 声がした。
 ソラは、はっとその方向をみた。
 本部室の奥には、茶色の応接セットがあった。そこにくつろいだ様子で彼女が座っていた。
「あ、先輩!?」
 明日真だった。
「ども〜」
 椿がふうっとため息をついて、明日真のほうを見た。
「知ってたの、会長」
「かかかかかか会長!?」
 ソラは驚いて、明日真と椿の顔をひょこひょこと交互に見比べてしまった。
「明窓女学院高等学校文化会本部第三十九代会長、羽村明日真でーす」
「え、だって、写真部って……」
 明日真は立ち上がって、ソラのほうにやってきた。
「私たち文化会本部役員は各文化系サークルに所属しているものから選抜されるんだよ」
 そして、椿の肩にポンと手を置いた。
「副会長の椿は、文芸部」
 そして、美佐といおりのほうをみた
「会計の美佐とその補佐のいおりは、簿記研究会所属よ」
「そ、そういうシステムなんですか……」
「生徒会と同じ。生徒の代表ってこと」
 ソラのそばにいたいおりが、そういった。なるほど、そう考えると納得がいく。
「会長、休部扱い知ってたなら、昨日報告した時点で教えてくれればよかったのに」
 椿が不満げにいった。
「いや、私も昼休みに昔あったこと聞いて、さっき調べたんだ。で、椿、この場合は」
「文化会本部規約第八章第3条の二 休部状態のサークルの復帰の項目に準じて、申請用紙のDの5に代表責任者の氏名を記入して申請のこと」
 それをきいて、またいおりがしゅたたと例の書類ケースに向かった。
「でも、現状では予算も部室も下ろせないわね〜」
 美佐が言った。
「どのみち部員は集めないとならないですしね。一人なら笑点で十分でしょうし」
 戻ってきたいおりが、ソラに書類を差し出した。
 ソラはアルバムをとじて、その書類を受け取る。
「まー、それでも一応名前だけは、部として復活するってことね」
 明日真が言う。
 ソラは書類と明日真の顔を見比べる。
「じゃあ、あたしだけでも?」
 明日真はうなずいた。
 ソラは笑顔になった。
「やった……!」
「まあ、まずそれにちゃんと記入してからね」
 あ、そうだ、と明日真は呟いた。
「名前、なんていうの?」
「1年C組、三星素良です!」

 こうして、その書類は受理されて、明窓女学院の十七年ぶりに落語研究会が復活したのだった。
 部員はただ一人だけだけど。
 文化祭が終って、各文化系部活の三年生が引退して、二年生にそれぞれ代替わりしている秋のころだった。

【第一話 おわり】

back / top
2007.8.26 発行
2007.11.11 第二版より

ハルカジクウ