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無言歌 2008.3

 選択科目の音楽の授業で、その曲を聴いた。
 メンデルスゾーンの「無言歌」。
 無言の歌。ことばのない歌。
 

 放課後の教室で、あたしたちは時々キスをする。
 結子と。約束をするわけでもなく、時々。
 
 きっかけはほんとに事故だった。
 結子は隣のクラスで、体育と生活科の実習の時は同じ授業を受けていた。
 でも話したことはなかった。
 
 すごい音を立てて、あたしと結子は体育館の床に倒れこんだ。
 体育の授業でバスケの試合中だった。うっかり衝突してしまった。
 一瞬なにが起こったかわからなかった。
「だ、大丈夫……?」
 あたしの下から、声が聞えた。それが結子だった。
「あ、うん……」
 あたしは答えた。
「立てるか!?」
 慌てて体育教師がやってきた。
「あ、はい……」
 あたしは立ち上がった。結子も立ち上がる。
 バスケの試合中に、うっかり衝突してしまったようだった。
「そっちは大丈夫?」
 あたしは彼女に言った。名前はまだ知らなかった。
「うん、大丈夫みたい。でも、その……」
 彼女は黙りこんだ。
 その間の意味がわかって、あたしも黙ってしまった。
「とりあえず、二人とも少し休憩しろ」
 あたしたちの不自然な沈黙は、教師の采配によって破られた。
 あたしはD組、彼女はC組。それぞれの陣地に戻った。
 
 放課後、あたしはC組を覗きにいった。
  「大丈夫だよー。足とかもなんともないし」
 掃除も終った教室で、彼女は笑った。名前もすでに聞いていた。
 でも痛かったねーと笑いながら話しているうちに、教室には誰もいなくなっていた。
「……あのね……」
 結子が言いずらそうに言い出した。
「ん」
 あたしは身構える。
「……キスしちゃったよね……?」
 
 ぶつかって、倒れこむ瞬間に、確かに。
 

  「ごめんね!」
 結子が頭を下げた。あたしは慌てる。
「なんで謝るの?」
「だって……やっぱ悪いじゃない」
「なんでー、女の子同士だしさー、気にすることないって! 事故事故! それならこっちだって謝らないとならないし!」
「気にしてない?」
「ううん、全然。そっちは?」
「私も。びっくりしたけどー」
 結子は安心したように笑った。
「よかった……気にしてたらどうしようかと思って」
 結子が少し俯く。ストレートの肩までの髪が揺れた。
 あ、きれい。
 そんなふうに思った。
「気にするなんて。むしろ、気持ちよかったっていうか」
 あたしはそう言いながら、つい、その髪を触ってしまった。さらさらだった。
「え?」
「気持ちよかったって言った」
「……私も」
 次の瞬間、ふたりの唇が重なった。
 

   それから、時々、放課後にあたしたちはキスをする。
 ただそれだけの関係だった。
 メールは交換することはほとんどない。一応アドレスは聞いているけど。
 廊下ですれ違う時は、ちょっとだけ挨拶を交すだけ。
 だけど、時々キスだけはする。
 
 体育はバスケが終って、平均台がはじまった。
 退屈なこの授業にみんなは、不満そうだった。
 平均台の数は少ないので、順番待ちの時間が長い。
 その日の授業でも、あたしは膝をかかえて、ぼーっと順番を待っていた。
 丁度、C組のほうで、結子の番がまわってきていた。
 結子はなかなか上手かった。
 みんなが大抵失敗するターンもちゃんと出来ていた。背はそんなに高くない彼女の手足が伸びてきれいだった。
 きれいだった。
 
 その時、結子の隣の平均台から、ひとりの生徒が落下した。
「大丈夫!?」
 結子が慌てて自分の台から飛び降りた。
 落ちた生徒は怪我はしてないようで、大丈夫だからと言ってる声が聞えた。
 もう、結子はいつも心配しすぎだから。
 そんな声も聞えてきた。
 結子が照れたように笑った。
 見たことのない表情だと思った。
 きれいだった。
 

  「梓」
 放課後の教室。結子がやってくる。
 手には書道の半紙を丸めてもっていた。
「結子は書道とってるんだ」
「うん、梓は?」
「音楽」
 そんなことすらお互い話したことがなかった。
「書道、けっこう面倒なんだー。音楽ってなにしてんの?」
「最近は音楽鑑賞」
「どんなの?、ベートーヴェン?」
「……メンデルスゾーンとか」
 
 あたしたちは放課後、時々キスをする。
 そこにはなにもなくて、ただの柔らかい唇があるだけ。
 今日もまた。

 音楽室にはレコードプレイヤーがあって、先生が「今日はレコードで」と言ってかけたのがメンデルスゾーンだった。
 レコード。昔、小学校で触ったような記憶はあるけども。
 流れてくるピアノの音。少しノイズがはいる。

 ことばのない歌。
 恋のないキス。
 それでも繰り返し繰り返し重なる唇。
 
 レコートは一度針を飛ばし、同じフレーズを何度も何度も繰り返した。
 教師が止めるまで。
 ことばのない歌。
 
 きっと、誰かが止めてくれるまで止らないだろう。
 恋のないキス。
 
<終>


 

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* 書いた日* 2008.03 *
短い話は苦手なんですが、せっかくの百合部の企画だったので頑張って書いた記憶が。精一杯感を感じます。
* 更新日* 2010.01.08 *

Winter Sweet